旅の思い出23「長崎カトリックセンターの夜」

長崎旅行⑥

幻想的な夜を雨に邪魔された我々は、心身ともに疲れ果てて長崎カトリックセンターに戻った。ドミトリーの自分の寝床に戻った私は、少し緊張した気持ちで風呂場に向かった。ユースホステルとしても営業しているとは言え、そこは“カトリック”センター…宿泊客にも修道士のような禁欲生活を強いるに違いないと勝手な思い込みで体が硬直する思いだった。脱衣所に入るとすでに3人の先客があるようで、私は風呂場に入る際、十字を切るべきか暫く悩んだ。無神論者を貫く私としてはここで自分の信念を曲げる訳にもいかず、敢えて陽気に入る事にした。中に入ると3人の青年が体を洗っているところで、私は笑顔で「今晩は。」と声をかけてみたが何の返答も無かった。風呂場には、体を洗う順や風呂桶の並べ方など細かい指示の書かれた張り紙があり、黙って体を洗う行為自体が修行の一環なのだろうと(勝手に)解釈した。きっと談笑しながら風呂に入る事など許されないのだろう。しかし私にも無神論者としての意地がある。私は敢えて「フー」とか「あー」とか声を出して銭湯に来た近所のおじさん風に「オレはキリスト教徒じゃないぞ、ただの観光に来たオッサンだぞ」と態度で主張してみた…今考えれば無意味な主張だった気もするが、その時の風呂場は無言のバトルが繰り広げられていた(ように勝手に感じていた)…私は勝手に決めつけていたが、彼等がキリスト教徒とは限らない。
逆に肩が凝るような風呂場を出ると、本当に宿泊客が居るのか疑ってしまうほど静まり返った廊下を自分の足音だけ聞きながら歩いた。時間は夜10時頃だったが、キリスト教徒は朝の礼拝の為に早めに寝てしまうのだろうと(またしても勝手に)思った。壁には「廊下は静かに」の文字、私はいつしか出来るだけスリッパが鳴らないように忍び足で歩いていた。
私が眠った広い男部屋にはドミトリー方式の寝床が無数にあったが、宿泊客は私の他に2人だけだった。私が風呂場から戻ると他の2人は既に寝床に入っているようだった。翌朝私が起き出した時には彼等はすでに出掛けていて、出来れば彼等にはキリスト教業界の裏話など聞きたかったが顔すらまともに見れなかった。余談だが、朝5時頃カトリックセンターの目の前にある浦上天主堂の鐘が大音量で鳴りメンバーYは飛び起きたそうだが私とメンバーKは鐘の音を聞いた記憶は無く「あの音量で眠ていられるのはオカシイ」と散々罵倒された。今にして思えば、私と同室の2人も鐘の音を聞く前に天主堂に向かったのだろうと(勝手に)想像する。
ドミトリーで安く泊まった我々にもコーヒーとパンのサービスがあるという話だったので、ケチケチ貧乏旅行実施中の我々はありがたくいただいた。パンを食べながら、少々(自分勝手な)緊張感もあったが、清潔感があって何より静かな宿だったと振り返った。長崎で安く泊まりたいと考えるなら、お勧め出来る宿だと言える。私やメンバーKのように、一度寝たら中々起きない人間であれば朝5時の鐘も問題ないだろう…私は今だにメンバーYの夢だろうと考えているが…


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